2019年11月29日午前、中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が老衰のため、亡くなった。
101歳だった。
「戦後政治の総決算」を掲げ国鉄、電電公社、専売公社の民営化や日米安全保障体制の強化を行った。
葬儀は近親者だけで行い、後日お別れの会を開く予定。
中曽根元首相は、1918年、群馬県高崎市で生まれ、
1941年に旧東京帝国大学法学部を卒業し、当時の内務省に入る。
その後、太平洋戦争を経験した。
1947年現在の憲法下で初めて行われた衆議院選挙に28歳という若さで初当選を果たす。
1959年、岸内閣で「科学技術長官」で初入閣、防衛庁長官や運輸大臣、通産大臣などを歴任する。
1982年、第71代内閣総理大臣に就任「第一次中曽根内閣」が発足、「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄(現在のJR)電電公社(現在のNTT)専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社 JT)を民営化した。
生涯を通して、日本の科学技術や教育の発展に尽力し、憲法改正にも強い意欲をしめしていた。
中曽根元首相の在任期間は、1806日となり戦後5番目の長期政権となった。
政界引退後も内政、外交に積極的な発言を続け
心境を、「くれてなお命の限り蝉しぐれ」と詠んでいます。
中曽根政権、最後の夏に読んだとされるこの歌は、
日が暮れ己の命が尽きようとする中、最後の一瞬まで鳴き続けるセミを自らに重ねたと言われています。
一人のセミの命と共に昭和という日本の「真夏」が終わりを告げた。