母が亡くなった日のこと3 葬儀の日取りは?

葬儀・葬祭
母が亡くなった日のこと1 葬儀不要、戒名無用でも・・。
秋が深まるこの季節、亡くなった母のことを思い出す。もう15年前になる。胆のうガンで逝った。60を少し越えた年齢だったから若い死であったと思う。母の葬儀は実に立派だった。荘厳と言ってもいい。戒名も高貴だ。そして墓標は未だに燦然と輝いている。
母が亡くなった日のこと2 葬儀会社もとのやりとり
葬儀業者も決まった。母病院の事務職員は死亡直後と言うこともあり遠慮がちに我々の方を見ていたが、内心は早く引き取って欲しいのはありありと読み取れた。死亡診断書もいつの間にか兄に手渡され、遺体を運ぶ準備があっという間に出来上がっていた。母の死からおおよそ60分という早業だ。

母が死んだ日は先勝ちの午後だった。暦を見ると明日は友引で明後日は先負けとなり、詳しい者の話ではお通夜も葬儀も行えない。私は日取りについては全く無知で訳が分からなく。よって母が亡くなって3日後にようやくお通夜が行われることになった。となるとその日にお寺に運ぶとまるまる4日間お寺を押さえる費用がかかる。それで一旦自宅に戻したほうがいいと言う話し合いになった。よって仏滅の日にお通夜大安の日にお葬式となった。大安の日にお葬式と言うのはいいものかどうなのかはわからないが葬儀屋が言うには問題ないと言う話だった。それで母を自宅に運ぶことになった。

親戚のおじさんが軽自動車を霊安室の出口に付けた。するとお節介な近所のおばさんが「自家用車では遺体を運んではいけないんだよ」と言ってきた。なんでも遺体を運ぶには許可された車でないと運べないと言う。無論私たちがそのような事は知らない。私の家は病院から100メートルもない。車で運ぶのが違反であるならば担いで運ぶぼうと言う者もあった。いやいやその気持ちはわかる。一昔前なら〝エンヤコリャ〟と言って出来たかもしれないが、現代ではもはや笑い話にもならない。遺体は立派な産業廃棄物だ。みんながああでもないこうでもないと揉めていると、葬儀屋が助け船を出してきた。父に向って「大丈夫です。ご主人の思いの通りに運んであげてください。私は目をつぶります」と言ってきた。私たちは母を軽トラックの荷台に乗せて家まで運んだ。わずか100メートル。父と私が後部座席で母が転がらないように支えた。外は兄や兄嫁、近所の人たちが雪の中ゾロゾロ車を囲んで歩いていた。

自宅前に着いて叔父が急ブレーキを踏んだ。母の頭がコロンと音を立てた。叔父がバックミラー越しで奇妙なこと言った。「おい、バックで入れるか頭から入れるかどっちなんや?」私たちは返答に困った。結婚などの嫁入りは絶対にバックで入れてはいけない習慣がある。後ろ向きは出戻りを意味して縁起が悪いからだ。しかしこれは葬式だ。頭で入れようがお尻から入れようがどちらでも良い。もう死者は戻ってこない。結局叔父はバックで車を家の玄関までつけた。雪が益々と降り注いでいた。無論、玄関から入れるかそれとも居間側の窓を取り外して入れるか一瞬迷ったがもうどうでもよかった。

つづく。