母が亡くなった日のこと1 葬儀不要、戒名無用でも・・。

葬儀を行うということのエネルギー

秋が深まるこの季節、亡くなった母のことを思い出す。もう15年前になる。胆のうガンで逝った。60を少し越えた年齢だったから若い死であったと思う。母の葬儀は実に立派だった。荘厳と言ってもいい。戒名も高貴だ。そして墓標は未だに燦然と輝いている。

そんな経験をした結果、私が亡くなった際は、葬儀不要、戒名無用と家族に伝えてある。もちろん墓などもっての外だ。私自身、大した人間ではないし、妻も子どももいない。幸い、兄家族がいてその子どもたちが墓を守ると言ってくれるが丁重にお断りしている。私の哲学は「死んだら終わり、何も無い」であるから私のことを思い出したりしてほしくない。人間は息を引き取ったらもう終わり、天国も極楽も地獄もない、終わりは終わりであって何も残らない。来世などもありえない。現に人間以外の植物は墓標など残さない。よってお墓などを残すことほど非生物的であると信じている。とは言っても私が死んだ数日間は大変申し訳ないが誰かのお世話になってしまう。それすら出来れば避けたい(希望としてはどこかの山へ一人で出かけてそのまま誰にも知らずに死にたいものだ)たった一つだけ希望する。それは遺灰にして山、川にまいてほしいのだ。いわゆる散骨だ。

私が何故、葬儀不要、戒名無用、墓無しで散骨を望むのかは、上述した母の死が深く影響している。人が死ぬと本当に大変だ。死んだ本人の知らないところで多くの人間がかかわってくる。母の葬儀の時痛感した。残された父、兄家族、私と妻、それから母の兄弟姉妹、母の友人知人、近所の人たちからその他、雑多な人たちが一斉にかかわりとてつもないエネルギーを要した。

いつの間にか現れる葬儀屋の職員

まず驚いたのは母が亡くなって30分もしないうちに葬儀屋が父に挨拶に来た。母を病室から霊安室に運んだ。ロビーに戻りあちこちに電話連絡をしている時に、そっと寄り添うように葬儀屋が父に耳打ちをしていた。「この度は大変な悲しみの中で…」などと囁いていた。そして「奥さまがご安眠できますように立派にお送りさせていただきます」と言われ父はうな垂れるように葬儀を依頼した。言い方は悪いが即決であった。

我々兄弟は「ちょっと待ってよ、今死んだバッカリなのに失礼ではないか!」と憤りを感じたが、そんな怒りを爆発させることは不可能だった。人間は成長する生き物だ。どんな状況下でもやはり人目が気になる。世間体というやつだ。ロビーには母の死を知った親族や近所の人たちが集まってきていた。そのような人の視線の中で怒りを爆発させてはマズイと察知したのだ。父も同様だったと思う。あの葬儀屋の寄り添い方は寒風吹き荒む荒野を歩いてたどり着いた山小屋でスッと出された暖かいコーヒーが五臓六腑に染み込むごとくの囁きであった。

つづく。

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